ネパールという国について知っていることはありますか?同じアジアの人間ということは知っていると思いますが、それよりも深い情報を知っている人は少ないのではないかと思います。

そのような状況でネパール人と仕事をするようになった時、どうやって彼ら、彼女らと接していったら良いでしょうか?そこで今回は「ネパール人」に絞って徹底分析をしてみました。これを読めば、彼ら。彼女らとスムーズなコミュニケーションをとることができるようになります。

また、他の国籍の方と働くことに興味がある方に向けて、重要なポイントを国籍別にまとめました。ぜひご活用ください。

ネパールってどんなところ?

ネパールのヒマラヤ山脈

ネパールの国土は北海道の1.8倍くらい大きさで、その土地は平原が多いというわけではなく、山に面しています。8000メートル級の山が8座あり、その山の間に約3000万人弱の人たちが暮らしている状況です。

公用語はネパール語ですが、政府や企業、教育機関では英語が多用されているようで、英語を話す人口は多いようです。

またネパールは多民族国家で、異なる言語、地域語で分類した場合、少数民族の数は100以上といわれています。登山番組などで、「シェルパ」と呼ばれるヒマラヤのガイドで登山者のために必要な荷物を運搬することをなりわいとしている人たちを見たことはないでしょうか?この名前は「シェルパ族」というネパールの少数民族の名前から来ているものなのです。

ネパールの宗教と歴史

ネパールの正式名称は「ネパール連邦民主共和国」ですが、10年くらい前までは「ネパール王国」と呼ばれていました。

そしてネパール王国の歴史をひも解くと重要なキーワードが3つあります。それは「清」「イギリス」「国王」です。

プリトビ・ナラヤン・シャハ が第10代ゴルカ王になり、1768年にネパールを統一し今のネパールの基礎を作りました。1788年には清・ネパール戦争が勃発し、カトマンズ近郊まで攻め入られます。戦いに敗れたネパールは朝貢国として朝貢使を北京に派遣する状況が1912年まで続いたのです。

1814年にはイギリスの東インド会社との間で戦いが勃発し、敗れたネパールはイギリスの保護国になりました。その後1923年にはイギリスと友好条約を締結し、ネパールは独立国となり、1951年より立憲君主制が導入されます。

しかし1955年にマヘンドラ国王 が即位すると、独裁体制を強めていき1960年に議会は解散させられます。

この体制に反対する民主化運動1990年頃から始まり、1991年には複数政党による選挙が実施されました。しかしその後も政治は安定せず、1995年には人民共和主義を目的とするネパール共産党毛沢東主義派 (通称マオイスト)による武装闘争が開始され、ネパールは内戦状態になりました。

この混乱のさなか、2001年には王政の内紛により王族殺害事件が起こり、王族10人が殺害されました。その後、新たな国王が即位しますが内戦は沈静化せず、ネパールには混乱状態が続きます。しかしやっと2008年にネパール議会が招集され、今のネパール連邦民主共和国になったのです。

ネパール人は日本人と似ている?

ネパールの子供

パールと日本人には2つの点で性格的に似ているところがあるといわれています。それは「控えめな性格」と「助け合いの精神」です。

控えめな性格

おそらくこれは語順が日本語と同じというのも関係するかもしれません。英語だと「私は する 野球を」 のような語順になり、「私がやるんだ」という自己主張型の表現になりますが、ネパール語は日本語と同じように「私は野球をする」という語順で話します。

こういったことからかネパール人には「俺が、俺が。」と前に出てくるタイプはあまりいません。多くのネパール人は控えめな性格をしています。このあたりがネパール人は外国人であるけれども、日本人にとって非常に親しみやすいところだと思われます。

助け合いの精神

2015年にネパールでマグニチュード7,3の大規模な地震が発生しました。死者は9000名にもおよび、約22300名のネパール人が負傷しました。

この規模の災害が発生するとインフラは遮断され、物資の流通が制限されてしまします。日本でも大きな災害があったときはインフラは遮断され、物資が制限されました。このような過酷な状況ではありますが、日本では深刻な暴動、略奪などは起きませんでした。

それと同じ状況がネパールでも起きています。ネパール大地震の後、ネパール国内において目立った暴動、略奪は見られなかったようです。大きな災害の中、自分本位な行動をせずにおたがいに助け合っていたようです。

こういった姿勢は私たち日本人との親和性が高く、お互いに理解しあえるところだと思われます。

ネパール人は時間にルーズ?

ネパール人と日本人の大きな違いとして時間感覚が挙げられます。ネパール人の多くは時間に対してルーズな性格で、「ネパリタイム」という言葉が存在するほどです。遅刻が当たり前という文化なので、時間を守ろうとする日本人とは衝突があるかもしれません。

しかし、そういった傾向があるというだけで、全てのネパール人が時間にルーズというわけではなく、きちんと時間を守れる人もたくさんいます。ネパール人を採用する際には、日本で時間を守ることがいかに大切なのかを理解してもらうようにしましょう。

日本で仕事をするネパール人は増えている?

ネパール 採用

現在、日本で仕事をしているネパール人は増加傾向にあります。1995年の在留ネパール人の数は1314人だったところ、2005年には6953人となっています。もともとネパールは多くの自国の人間を海外に送りだしている国で、イギリスの保護国になったときよりイギリスにネパール傭兵として人員を派遣してきました。

現在もその状況は続いており、イギリス軍には2000名、インド軍には50000名のネパール人が傭兵として活動しています。そういった彼らが海外で稼いだ金をネパールに送金することで多くの外貨を獲得しています。さらに近年は傭兵だけでなく、技能労働者の派遣にも力を入れています。

2007年にはネパールで国外労働法が成立し、それに伴い海外で働く環境を構築するために、ネパール国内に16カ所のトレーニングセンターが設置されました。

日本におけるネパール人の現状

2009年に日本との間結ばれた二国間労働契約で日本に入国するネパール人労働者の数は増加しており、現在の海外労働者におけるネパール人の割合は5.5%です。

平成30年に厚生労働省発表した「外国人雇用状況の届出状況」によると日本で働くネパール人の割合は前年に比べて18.0%上昇しています。

ネパール人の労働人口が増えていますが、それだけではありません。現在の在留ネパール人の内訳によると技能労働者17.7%、ついで資格外活動(留学生)が14.5%となっています。(「在留資格から見た移民の動向2015」)

このようにネパールは日本への海外留学に力を入れています。ネパール教育省の国別留学承諾書の発行数によると現在、日本がトップで、次いでオーストラリア、アメリカです。このようにネパール人労働者だけでなく留学生の数も急激に増えている状況です。

また、ネパールの中央年齢は約23歳と若い人が多く、そのため日本にいるネパール人も若い年齢層が中心です。若い労働力を確保したい企業にとってネパール人を採用するのは大きなメリットと言えます。

ネパール人と仕事をする上で気をつけるべきこととは?

ネパール人と仕事をするときに気を付けるべきことはそんなに多いわけではありません。ただネパール人にはヒンドゥー教徒が多いので、その点で注意すべきことが2つあります。

1つ目はヒンドゥー教では左手は不浄のものとされているので、左手での握手などは注意したほうがいいでしょう。もう1つはヒンドゥー教では牛は神聖の使いとしているので食事を誘う際は牛肉を避けるのが無難です。

また現在ではあまり関係がなくなっていますが、ネパールはインドと同じようにカースト制がありました。カーストとは階級制度で、その位によってつける仕事なども限られます。ただネパールでは1962年にカースト制は廃止され、下位のカーストだった人でも自由に職業を選択できる状況になっています。こちらは予備知識として覚えておいたほうがいいかもしれません。

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